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「武道教育と無意識H」
格闘Kマガジンの読者のみなさん、こんにちは。禅道会の小沢です。「武道教育と無意識@〜G」は興味深く読んで頂けましたでしょうか。「武道教育と無意識@〜G」に記したことを復習のため、簡単に説明致します。
人間は、生まれてから様々な経験や学習を通して、また、言葉の発達とともに自分という意識(自我)を獲得していきます。しかし、人に起こり得る様々な経験は、その人にとって必ずしも都合の良いものばかりではありません。そのため、様々な経験を通して生じた意識にとって都合の悪い感情(トラウマなど)や、それに伴う記憶を、自我防衛メカニズム(@抑圧 A反動形成 B置き換え C昇華 D退行 E補償 F同一視 G投影 H合理化 I逃避 これら十通りの方法を微妙に組み合わせて、自分にとって都合の悪い意識を無意識へ追いやり、普段意識化されることを防ぎ、意識を守ろうとするメカニズムのこと)を用いて忘れ去ろうとします。もう少し肉付けして言うならば、意識が認めたくない感情の意味付けを、意識にとって受け入れやすくするために無意識的にすり変えようともします。(錯誤帰属)こうして、無意識下に抑圧された強い感情や、誤って意味付けされた思い込みによるイメージの塊のようなものを、分析心理学ではコンプレックス(無意識に沈む認めたくない感情、嫌な思い、心の傷や他人に知られたくない欲求など)と呼んでいます。これら無意識に潜むコンプレックスは、普段は意識に抑えられていて、顔を出すことはほとんどないのですが、私達の行動や動作、感情に強く影響を及ぼしています。「武道教育と無意識D」でも記しましたが、コンプレックスが普段、動作に与える影響の譬え(たとえ)として、「人の癖は四十八癖」とか「なくて七癖」などと言いますし、感情に与えている影響の譬え(たとえ)として、「十人寄れば十人十色」などと言われるように、その人の動作的癖や人によっての主観の違いは、類似のコンプレックスはあっても、人それぞれ違うコンプレックスが、普段から強い影響を及ぼしているからなのです。また、コンプレックスが露出することによって起こる錯誤行為(キレた時、焦った時など、意識が飛んで意識のコントロールが弱まった時に露出してしまうコンプレックスを含む深層心理を現す場違いな言動や動作)は、意識を跳ね除けてコンプレックスが人を一時的に支配した状態と言ってよいでしょう。例えば武道競技の試合中にコンプレックスに支配されれば、その試合は負ける可能性が極めて高くなりますし、日常生活においては致命的な結果を生んだり、精神荒廃を引き起こしたり、健康を害する可能性すらあるのです。無意識に潜むコンプレックスの全体的傾向が、人の意識に強い影を及ぼし、性格を形成させている以上、誰の無意識の中にも、コンプレックスは存在しています。私達がコンプレックスに支配されないためには、それを意識化することが必要となるのです。私達は普段、意識できる感情や想念だけを自分の心とかなくなに信じています。しかし私達の意識は、本当は大海に浮かぶヨットのようなもので、心全体ではありません。ヨットをうまく操縦するには、風を知り、海を知る中で最終的には自然の摂理を悟らなければなりません。そのためのキッカケとなる、自らに生じた感情の意味付けの誤りに気付くことから始まるのです。そして、私達の根源的な無意識は、むしろ身体の方に宿っているのです。私達の身体では内なる自然と、外なる自然が当り前のように協調して、私達を一つの生命体として成り立たせています。自分自身の感情は身体を通してどのような意識状態で、自分の内側の世界と外側の世界を見つめるかにかかっているのです。そして私は、現実性との接面を踏まえながら身体性の完成を目指す武道が、そのための近道ではないかと考えています。
読者のみなさん、人が人であるための生物学的な定義は何だと思いますか。霊長類の中で、人と猿とを区別する身体的な特徴は何でしょうか。読者のみなさんの中にも知っている人は大勢いるかと思いますが、人が人であることの生物学的身体的特徴は、背骨を垂直に立てて二本足で歩行すること、すなわち直立二足歩行を行っているということです。言い換えれば、二本の足を使って歩行することが、人が人として認められる必須条件なのです。人が猿から進化したことは現代ではもう常識ですが、最初は到底受け入れがたいことでした。
1859年、「種の起源」を書いたチャールズ・ダーウィンは、人はアフリカの猿から進化したと主張し、当時の学会に大論争を巻き起こしました。しかしダーウィンも、どのようにして人類が猿から進化したのか、ハッキリとその道筋を示すことは出来ませんでした。当時の人類学者の多くは、猿と人とを区別する最大の特徴は、脳の大きさの違いであると考えていて、当時の人類学の権威アーサー・キースは、脳の重さが750gを超えるかどうかが猿と人の境界であると考えていました。つまり、進化の過程の中で最初に現われる特徴は、脳が大きくなることだと考えられていたのです。
しかしその後に、ダーウィンが人類誕生の地と考えていたアフリカで、猿から人の進化の謎に迫る重要な発見がありました。エチオピアのハダールで、アメリカとフランスの協同チームが、人類の化石の中で最も古い物の一つを発見したのです。ルーシーと名付けられたこの化石は、400万年前に登場したアファール猿人のものだったのです。アファール猿人の脳はおよそ400gで、チンパンジーと変わらないのですが、二本の足で歩くという人間にしか出来ない特徴を備えていたことがわかったのです。また、この化石は、人類が進化する過程の中で最初に起きたことは、脳が大きくなり知性が発達することではなく、二本の足で歩くことこそが最初に起きたのだということを証明するものだったのです。二本の足で歩くようになった人類は、脳を垂直に立てることにより、脳を肥大化させる可能性を広げ、直立することによって突き出されたアゴが引かれることとなり、そのために気道が広がると同時に、声帯の音域幅が広がり、言語を獲得する準備がなされました。そして、前足が道具を使うための条件である手に変化したこと、それら身体面の変化による人としての特徴の獲得の後から、人類の脳に飛躍的な進化を遂げさせたことになったのです。つまり、人としての身体的特徴をそなえた後に、脳の発達という最後の進化があったのです。知性を身に付けた人類は、知性を持ってあらゆる地上の秘境に順応し、世界に瞬く間に広がって行ったといわれます。
読者のみなさん、これは大変興味深い話だと思いませんか。人類の進化の歴史を顧みる時、身体が心に与える影響の大きさを知ることとなるのです。私達人間の誰もが行っている二本足で歩くという動作は、それ自体が奇跡的であると同時に、知性を生み心を育てる神秘の技でもあったのです。私達日本人は、心と身体は別のものではないことを、古来より知っていました。そして、武道や茶道をはじめ、様々な伝統芸能の中で、身体性を研ぎ済ますことにより、心を成長させようとしてきたのです。
次号は、心と身体の関係性を大脳の説明をもう少し加えながら、武道についても説明していきたいと思いますので、乞うご期待。 |