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「武道教育と無意識N」 格闘Kマガジンの読者のみなさん、こんにちは。禅道会の小沢です。私の住む町は、長野の南信州、下伊那郡高森町であることは、このコラムにも記しましたが、とうとう高森町でも、つい1ヶ月半くらい前に、大事件が起きてしまいました。テレビや新聞等でご存知の方もいると思いますが、町内の1人暮らしの老人が2人刺殺されたのです。(その他町外でも2件の殺人事件を起こしていた模様)今やこの手のニュースは、毎日のように報道されるので、全国的には決して珍しい事件ではないかも知れませんが、何しろ今まで事件らしい事件など起きたこともない田舎町のこと、大変な騒ぎとなりました。この事件の容疑者は、27歳の青年で、容疑は強盗殺人でした。 聞くところによると容疑者は、事件の折に、たった6千円程度の金額しか持ち去っておらず、高森町発行の有線番号帳には家族構成が記入されているため、それを利用して老人の1人暮らしを特定したようです。そのような計画性を持ち合わせながらも、目的である金銭の額を考えてみると、動機的にも精神的にも、余りに稚拙な犯人像を思い浮かび上がらせる事件でした。この事件の容疑者Mが逮捕され、テレビに映し出された顔を見た瞬間、思わず「あの時の男だ!」と、ある記憶が私の脳裏によみがえって来たのです。実は私は、この容疑者を何度か目撃していたのです。禅道会の経理事務を担当している現総務部長代理を務めているK君(武道教育と無意識Fの自我防衛メカニズムIの「逃避」のエピソードで登場した、カオナシとあだ名をつけられていた元引きこもりの彼のことです)と私は、月に一度、経理事務の締め日に、2人で銀行に出向くのですが、それが終わって必ず昼食をとる喫茶店で(K君も私も、そこの牛すじカレーが好物だったので)その事件の容疑者を数度目撃していたのです。私は、テレビの報道を見た瞬間、K君に電話し、「殺人犯が捕まったぞ。喫茶店で見た男のことを覚えているか?」と尋ねると、「え〜!そうなんですか、僕も妙に覚えています。」K君は、さらに冗談めかして「何となく、昔の自分に似たような奴だったので。」と言うので私も、「た、確かに。」などと、下らない会話を交わしていたのですが、容疑者の男は、印象にある訳でもなく、ない訳でもない、というような、それでいて妙に印象に残る人物だったのです。私もK君も、通りすがりの人物の顔など、普段はまるで覚えていない人間で、街角で誰かに親しげに話しかけられても、「この人誰だっけ?」と思うことがしばしばあり、人の顔を覚えるのが苦手で、商売人には不向きな人間です。ところが、そんな私達でさえも、何故かその男のことだけはハッキリ覚えていたのです。不思議ですねぇ、みなさん。何かその印象が、無意識にひっかかるものがあったと考えざるを得ません。体の発達と精神の発達の大きなアンバランスが、私達の無意識に強い印象を与えたのでしょう。この事件に代表されるように、稚拙で残虐な凶悪事件には、コンプレックス(普段自覚することのない、ある感情が伴ったイメージの塊)が、どのように影響を与えているかを、全てにあてはまる訳ではありませんが、前号に肉付けする形で記していきたいと思います。 教育問題をはじめとする心の問題に対して、社会に住む私達自身が、自らを振り返りながら、その心のあり方について深い関心と造詣を求めない限り、このような凶悪事件が減少することはありません。平和な町、高森でさえ起きてしまったように、今やこのような事件は、あなたのすぐ身近で起こり得る可能性があるのです。 前号では、大脳新皮質が発達する過程で、形成されると考えられる自我(意識)は、その過程の中で、元々は環境との調整を図るために行われる自我防衛メカニズムの働きが、意識(自我)を不安定にする外的要因を無意識の世界に押し込めたり、その意味付けを変えたりして、意識(自我)の不安定要因からの侵食を防衛しようとして、意識(自我)を守るための働きへとその方向性を変えていく過程の中で、無意識の世界に様々なコンプレックスが形成される。また、各々個人のコンプレックスは、同一のものは存在しないが、私達の主観(意識)に強い影響を与えるため、1つの事柄に対して、それぞれの感じ方が違うのは、コンプレックスの違いであると記しました。このように後天的な経験(環境・学習・運動等)によって形成された心の習慣のことを、心の性質としては「性格」と呼び、動作やしぐさに現われる身体的運動のことを、「癖」と呼ぶ訳です。コンプレックスはエス(原始的衝動)の上に形成されるため、原始的欲求を、光を屈折させるプリズムのように変形させ、意識に影響を及ぼしているのです。そのことのわかりやすい例として、前号では、動物では性の対象が他のもの(下着・洋服等)に置き換えられることはなく、人間の場合、下着や洋服でも、原始的領域の性衝動を感じる人達がおり、人間世界にのみ様々な性の嗜好(女性の好みのことではありません。SEXに対するバリエーションのようなことです。例えばズバリ、動物はムチにぶたれても性的興奮は起こりません)が生じるという例を記しました。そんな例であれば、人生の中で彩のうちとも言えるかも知れませんし、私は様々な性の嗜好を持つ人々を変態であると断ずることはできないと思っています。(ちなみに、私にはそのようなバリエーションは全くありませんので、悪しからず)しかしながら、エス(原始的衝動、食欲・性欲など)をコンプレックスが大きく変形させ、意識に強い影響を及ぼす場合、異常犯罪や凶悪犯罪に結び付くこともあるのです。エスは、生物が生存するためには必要不可欠なものであり、本能なくして生存できる生物は、この世に存在しません。よくレイプ事件や暴行事件等は、人間の性衝動や攻撃欲求等の本能の露出だと考えている人達がいるようですが、実はそれは事実と大きくハズレています。意識領域の少ない赤ん坊や動物は、原始的欲求を露出させても反社会的な犯罪を犯すことはありません。動物は、ナワバリを守るためや雌を手に入れるために争うことはあっても、それが殺し合いになることは極めて稀で、優劣の差が確認できれば、それ以上争うことはありません。戦争等を考えてみても、同種族で大量な殺し合いをするのは、生物の中で人間のみだといっても過言ではないでしょう。そう考えるとエスは、生物にとって必要不可欠であると同時に、正常にその機能が発揮されることは、原則的にいって悪ではありません。あくまでエスの上に形成されたある種のコンプレックスが、あるきっかけで刺激を受けた時にエスを歪め、意識に影響を及ぼすため、反社会的行動(犯罪等)となって表れるのです。大脳生理学では、私達の一番古い脳にある視床下部という所が、欲の脳にあたる部分であると考えられていて、食欲、性欲、攻撃欲求等を司っています。性衝動と攻撃衝動は、古い脳の中でも近い場所に位置しているため、外的な刺激が加わると同時に、攻撃欲求も刺激されることとなり、コンプレックスが情報に固着すると、エスの欲求を変形させて意識に影響するため、攻撃的な異常犯罪に結び付くこともあるのです。また、現代社会では、特に貨幣経済の中で生存する私達は、生存欲求を金銭や物質に変形させやすいコンプレックスを無意識の中に蓄えているため、やはりある種の外的要因が加わると、そこに固着を起こし、金銭をめぐる犯罪が頻繁に起きたり、逆にリストラをされたりすると、生存のための本質を破壊されたような錯覚に陥り、一家の離散に繋がったり、鬱状態になって自殺してしまう等のことも多発するのだと考えられます。 現代社会は、情報化社会ともいわれるように、私達の無意識に住む肥大化し、多様化したコンプレックスを刺激する外的要因(情報)にあふれています。しかしながら、コンプレックスにより変形された欲求は、本質的な欲求と本来のカテゴリーが違うものなのです。私達の無意識には、手段と本質が、無整理のまま置き去りにされていて、大きなカテゴリーのエラーを作り出しているのです。言わずもがな経済は、生きるための手段であって、決して目的ではありません。生きるための本質は、意志を持って自らを振り返る中で悟るものです。そんな意味では、自らを振り返る強靭で柔軟な意志自体が、生きることの本質なのかも知れません。前号でも記しましたが、暗示を利用してコンプレックスにいくらコーティングしたところで、そのコーティングはいつか剥げ落ち、コンプレックス自体には何の変化もありません。勇気を持って意志の力で自らのコンプレックスを省みて、コンプレックスの真の意味付けと、カテゴリーの誤りに気付くことが、私達の人生に真の意味を与えてくれるのです。私達のコンプレックスは、常に要因(経験・学習・環境等)により形成されてきました。そのことは、自我(意識)の成長過程の中で、私達の意識が常に表を向いてきたことを意味しています。意識が表を向いている限り、私達の主観(意識)は、コンプレックスの影響から脱することはできないのです。また、違う例では、コンプレックスが外的情報に固着すことによってエスを歪ませることは、時として1つの事柄に膨大なエネルギーを注入さぜることになり、一種の特異能力者を出現させることもあります。しかしそれは、執着であって、自らを省みることによって生まれる集中ではありません。集中と執着は全く次元の違うものなのです。執着から生まれる特異能力者は、自我崩壊を起こし、反社会的な異常性を持つ人間になることが多いと考えられるのです。読者のみなさん、世界史や日本史に登場する人物の中で、「この人はそういう例かな?」という人はいませんか?また近年カルトの指導者の中で、そのような例に当てはまると思える人物はいませんか?そんな観点で歴史や近年あった大きな事件を考えてみるのも大変面白いと思いますので、是非チャレンジして下さい。 さて、みなさん、少しテーマが大き過ぎるので、テーマを小さくして、最後にわかりやすい例でカテゴリーのエラー(錯誤帰属)の例を説明します。性が乱れる昨今、これもカテゴリーのエラーが生じていると思われます。本来、男女の営みは、決してプレイではありません。ある意味男女の営みは、武道の試合のように真剣なコミュニケーションのはずです。プレイを愛情と錯覚することの中にも、現代社会の歪みが隠されているのではないでしょうか。男女の愛情に対する質の劣化自体の中にも、カテゴリーのエラーが隠されていて、青少年の無意識にやはり歪みが生じていると考えられるのです。続きは次号にて。 |
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