「武道教育と無意識K」

格闘Kマガジンの読者のみなさん、こんにちは。禅道会の小沢です。暑い日が続きますね。頑張ってますか。

最近、暑い中でミット蹴りのトレーニングをしていた時、ふっと15年位前の、あることを思い出しました。実は私は、当時、立ち技最強と言われていたムエタイを学びに、タイに訪れたことがあります。その頃私は、あるフルコンタクト空手団体の支部長をしていて、その団体の支部長ムエタイ体験研修旅行だったと思います。それまで海外旅行などしたこともない私は、とにかく初めての海外旅行ということで、気分はウキウキ。自分の弟子のO君とS君をともない、この研修旅行に参加しました。当時、私と同じくその空手団体の支部長をされていたS支部長というやたらとムエタイやタイの国のことに詳しい人がいて、その人の手配でタイ国の首都バンコク市内にある「ハーパランジム」というジムで、ムエタイの練習を経験しました。そのジムは、ディーゼルノイという国民栄誉賞を受賞した選手や、チャモアペットというムエタイ五冠王の選手が所属する名門ジムとのこと。そこでの練習は、気候がものすごく暑いため、一ラウンドミットを蹴っただけで汗はだくだく。目まいがして気が遠くなりました。その上床がコンクリートのため、シャドウトレーニングなどをしていても、足の裏の皮がすぐにベロベロになり、とにかく大変でした。私といえば、ムエタイを学びに行くと言うわりには、ムエタイに関してまるで無知、実はディーゼルノイもチャモアペットも知りませんでした。同行した二人の弟子O君とS君も、生まれも育ちも陸の孤島、信州の最南端飯田の人、行きの飛行機の中でも、

「先生、ムエタイって何すか?」などと聞いてくるので、「お前らバカだなぁ。そんなことも知らないのか。タイの空手のような格闘技のことだ。よく覚えておけ。」などという間の抜けた会話を交わしたりと、まあ、それなりに楽しい楽しい旅でした。ムエタイに関しては、その技術的な素晴らしさには、カルチャーショックを受けたものの、同時に、技術体系や様式等に違和感も感じました。が、ムエタイは今月号の本題ではありません。(この時感じた違和感から始まった空手に無軌道にキック等の技術を導入することの流れに対する私の意見は、私の著書「無意識の教育」に述べてありますので、興味のあるみなさんは、是非ご購読下さい)

事件は、それなりに楽しかったムエタイ研修旅行から帰ってきてから起きたのでした。今月号は、「武道教育と無意識」番外編としまして、このコラムの大筋から外れることなく、武道が担う教育性から生じる広がりと可能性について、私達禅道会の活動を例に述べていきたいと思います。

タイから戻ってきて、すっかりムエタイにかぶれたO君とS君は、普段の稽古でも、構えが妙にアップライト、プールに泳ぎに行く時でもムエタイパンツと、最初はやたら元気がよかったのですが、なぜか段々と元気がなくなっていきました。そして、私と目が合うと変にソワソワとして、目を合わせようとしません。ある時私が、道場の駐車場に降りていくと、O君とS君が何やら密談中。そして私の姿を確認すると「ギクッ」としているので、「どうした、これから二人でどこかに遊びにでも行くのか。」と私が尋ねると、「いえ、どこにも行きません。ちょっと食事に・・・」と言いながら、二人で慌てて車に乗り込み、何処へやらと一目散に出かけていきました。私は、「変なやつらだなぁ。まあ、そのうちに元気も出るだろう。」と、大して気にもとめていなかったのですが、二人はその後もどんどん元気をなくしていき、合同稽古にすらほとんど出なくなり、たまに来ても、おかしなことに対人稽古をしなくなりました。

「これは何かあるぞ。」と感じた私は、O君とS君と、現禅道会諏訪支部長で、当時道場に住み込みをしていた長澤清彦君をともない、ある焼肉屋へ向かいました。焼肉をつつきながら、神妙な顔をして座っている二人に向かって、「なんだお前ら、最近何か変たぞ。心配事があるんなら言ってみろ。」と私が声をかけると、二人とも目に涙を浮かべながら、「僕達、みんなに迷惑をかけないように、永久に、みんなの前からいなくなります。」などと言い出したのです。驚いた長澤君が、「なんじゃー、よくわからん。ちゃんと説明しろよ。」と言うと、彼らは何と、「僕達、実はエイズなんです。」と断言するではありませんか。今度は私が「お前ら検査を受けたのか。」と問いかけると、「二回受けました。」とのこと。道場の駐車場にいる二人を見かけた時のO君とS君はなぜか、二回目のエイズ検査に行く時だったらしいのです。彼らは、タイで私が他の支部長の方達と飲んでいるスキに、タイの女性と、ここまで読んで頂いた読者のみなさんのご想像通りのことがあったそうです。すべてに合点がいった私は、彼らの性格をよく知る者として、確信を持って「二回とも検査は白だったんだろう。」と言うと、うつむいたまま小さな声で、「押忍」・・・と答えます。気が弱く、人のいい彼らは、タイから帰ってきてから、日本で急に『タイでエイズ蔓延!』などのニュースが、テレビや週刊誌等で連日報道されるようになり、いつしかエイズノイローゼになってしまっていて、検査の結果が白だったにも関わらず、自分達もエイズであると思い込んでいたのでした。長澤君は彼らに、「エイズは組手をしても移らないんだぜ。俺はOちゃとSちゃんが仮にエイズだとしても組手をやるよ。」とやさしい一言。その言葉を聞いて彼らはわんわん声を上げて号泣。私と長澤君の笑い声と、彼ら二人の泣き声が夜空に響き渡り、その夜を境に、彼らのエイズノイローゼは完治したのでした。奥ちゃん、ナガちゃん、覚えているかな(これは彼らのニックネームです)
 あれから十五年、そんなユーモラスな思い出の地、タイへ、再び行く機会が訪れました。

一昨年前に新設された、空手道禅道会タイバンコク道場からの指導要請があり、技術指導に赴くことになったのです。出発前、タイ道場のIさんとMさんより、「指導に来て頂いた折に、どこか観たい所はございますか。」と声をかけてもらっていましたので、前号でも少し触れましたが、全ての生命の宿命である「死」を、自覚する唯一の生物である人類は、命に礼することを覚えていく過程の中で、心を発達させ、あらゆる文化を生み出して来た(武道文化もその中の一つ)、と考える私は、やはり命や死をみつめることから生まれた医療や福祉の分野には、以前より関心を持っていましたし、その分野の方々との協同事業などを行った経験もあり、とりわけ命の尊厳に重点を置いているホスピス医療には、青少年健全育成という見地からも、今後の活動に大きなヒントがあるのではないかと強い関心を持っていました。十五年前の経験から、漠然とタイに蔓延するエイズについて知っていた私は、「タイにはエイズのホスピスはありますか。」と二人に尋ねたところ、かなりの数が存在するとのことで、日本の福祉関係の方々も、現地に連絡を取っていただき、IさんとMさんにもずいぶんとお骨折り頂いて、技術指導の合間に、タイのエイズホスピスの視察が出来る運びとなりましたが、このタイ遠征は、十五年前のほのぼのした旅とは打って変わって、私達に衝撃が待ち受けていました。私達が視察したホスピスは全部で五ヶ所。大人の施設一ヶ所。あとはエイズで両親を亡くし、母子感染により生まれながらにしてエイズに感染している子供達の施設でした。どの施設の子供達も、私達を見つけると、足にしがみつくようにしながら、笑顔を向けてくれるのですが、表情の端々に、どこか寂しげな様子が漂っていて、その様子を見ていると、自分自身で意味づけの出来ない感情が私の心を占領していきました。通訳の人の話を聞いていると、この子達は、わずか五歳までしか生きられないとのことで、子供達の皮膚のぬくもりを感じた時私は、「本当に、この子達は、五歳までしか生きられないのか。五歳で必ず死ぬ命の意味とは何なんだろう。」と、自問自答せざるを得ませんでした。しかし、視察を続けるうちに、ある希望的情報が私達のもとに飛び込んできたのです。施設の中で、日本人スタッフが運営する施設を視察した時、その日本人スタッフの方から、「エイズに感染しても、発症をおさえる薬があるんです。その薬を使い続ければ、二十歳位までは生きられる可能性があります。その間に、エイズの特効薬が出来るかも知れない。私はこの施設を家と考えて、この子達を家族のように育てたいんです。」と聞かされました。私達は、その日本人スタッフの方々の生き方にも心を打たれ、出来る限りのことをしよう、と思い立ち、本年九月二十六日(日)、空手道禅道会のメイン大会である「ジャパンオープン2004バーリ・トゥードリアルファイティング空手道選手権大会」を、長野市ビックハットにて「国際エイズ孤児救済支援チャリティー」として行うことを決定しました。読者のみなさんも、この主旨に賛同して下さる方は、是非とも禅道会最高峰の技術ともどもご観戦して頂ければ幸いです。また、私達禅道会は、道着の作成を、エイズ孤児の施設で行えるよう模索中です。自分達の着ている道着が、例え微力であっても エイズに感染した子供達の命を支えているのだということが、日本の青少年の、人の道に対する自覚につながればと考えています。そして、いつの日か、道着を身につけた青少年の中から、まさに人の道をまとった青年達が、私達の住む社会を、美しい社会へ変えていってくれることを願ってやみません。
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